久しぶりのブログです。
今回は成田空港に隣接する 「空と大地の歴史館」 を訪ねてきました。
この施設では、成田闘争(三里塚闘争)に関する当時の資料や映像、実際に使われた無線機や道具などが展示されています。
私自身、成田空港建設の過程で住民と大きな争いがあったことは、うっすらと記憶にありました。
高校の授業だったのか、テレビの特集だったのかは定かではありませんが、「成田空港の裏には激しい闘争があった」という認識はありました。
ところが今回、娘の提案で訪れたことで、知らなかった事実や、今もなお完全には解決していない現実を知り、正直大きな衝撃を受けました。
成田闘争とは
1960年代から70年代にかけて、日本が高度経済成長の真っただ中にあり、新しい国際空港建設が計画されました。建設地に選ばれたのは成田市三里塚地区。そこは代々農業を営んできた人々の暮らしの場でした。
土地収用や移転を迫られた農民たちは反対運動を展開し、やがて学生運動や労働組合、市民団体が加わり、社会全体を揺るがす「成田闘争」へと発展しました。
時には激しい衝突もあり、犠牲者まで生まれたこの出来事は、戦後日本の社会運動の象徴といえる存在です。
今回「空と大地の歴史館」を訪問して特に驚いたのは、
空港建設から半世紀以上が経った今もなお、
空港敷地の中に“飛地”として残された民家や私有地が存在しているということでした。
その象徴が 東峰神社 です。
空港の敷地内にありながら、今も残されている神社で、周囲は滑走路やフェンスに囲まれています。
現在は普通に訪れることができますが、かつては私服警官が常駐し、参拝者が職務質問を受けることもあったそうです。
(カーナビの位置)
また、横堀鉄塔跡 も印象的でした。
現在は竹林に覆われていますが、かつては空港の滑走路からも鉄塔が見えたといいます。
現在でも、その場所までは行けるものの、歴史館のスタッフの方から「訪問はおすすめできない」と言われたことにも驚かされました。
さらに航空写真を確認すると、東峰神社周辺には今も数か所の私有地が点在していることがわかります。
何度も成田空港を利用してきた私ですが、その内側にそんな現実があるとは思ってもみませんでした。
これまでさまざまな博物館や資料館を訪れましたが、
「空と大地の歴史館」は特に心に残り、深く考えさせられる場所でした。
成田空港という、日本の玄関口の裏側には、いまも解決に至らない問題が存在しています。
「便利さ」の陰で何が起こっていたのか――。今回学んだことは、きっと今後空港を利用するたびに思い出すことになると思います。
もし成田空港に行かれる機会があれば、ぜひ「空と大地の歴史館」にも足を運んでみてください。
成田空港を見る視点が、少し変わると思います。












